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須賀孝子さんの留学体験談
フライトアテンダント(下記FA)になりたいと思い始めたのは10年前、ワーキングホリデーを終えた23歳の時。海外旅行添乗員のアルバイトをしながらFAの募集を待っていた頃、バンクーバーのある日本食レストランからワーキングビザを出すから働かないかという誘いを受け、希望を胸に25歳の夏再びカナダに渡りました。
カナダの航空会社で働くためにはまずカナダの「市民」または「移民」でなければならないため移民になりました。1年に一度しかないカナディアン航空の募集を待つというのは思った以上に長くて厳しい4年間でした。友人たちが次々と自分の進む道を見つけていく中、自分は20代後半にもなってもレストランで働いているという焦り。日本に住む両親、友人からも理解されず「ろくな職にもつけないのになぜカナダにいるの?」とはっきり言われたこともありました。
晴れてフライトアテンダントになった初フライトは台北へ14時間の旅。目障りな新人にアドバイスしてくれる親切な中堅などほとんどいませんから、マニュアルを片手に必死でトレーナーについて回りパニック状態でした。それでも初めてのステイ先では、ちゃっかり買い物・観光を楽しんできました。ホテルの大浴場でのんびりし、食事代と支給されるお小遣いでマッサージまでしてもらったので文句は言えません。
一番人気の日本線をめぐって中堅FAのいじめ、嫌がらせなどを受ける新人もいましたが、気の合うクルーと働くのは楽しいものでした。トレーニングを一緒に受けたクラスメイト、フレンドリーな中堅FA、温厚で気さくなパイロット。クルーが気持ちよく働いていればお客様にもその雰囲気は伝わりますから、機内全体の雰囲気も明るくなりました。また、コックピットで離着陸を見れたこと、雨雲や虹を真上から見下ろしたこと、有名人に会えたこと等は空の上の職場だからこそできた貴重な体験でした。
「FAになれば頻繁に日本に帰れるから両親が喜ぶし、仕事で海外旅行もできる」という甘ーい夢は、会社とユニオンの見解の不一致という現実に儚く散りました。またFAが高給取りというのは10数年前までで、私達の初任給は20年前採用者のものと全く変わらないものでした。少なくとも北米でFAは空の上のウェイトレス程度にしか思われていません。「地震で揺れている中、満席の空気の悪いレストランで、おいしくない食事を不機嫌な客(しかも食べ終わっても帰らない)にチップも貰わずサービスしている様なもんだよね。」と友達に言われ、納得してしまったことがあります。
主人の仕事の関係で、2000年の入社3年目で退職することになりました。カナディアン航空がエア・カナダに吸収合併されるなど、様々なことが変わりました。今もまだ働いていたらどうだったかなと考えます。今なら5年前に入社した頃と違いFAの現実を知っている分、それなりに仕事と割り切って文句を言いつつも楽しく働けるかもしれない、と思える反面、やはり自分には向いている職種ではなかったのではないかとも思えます。
いずれにせよ、23歳から目標としていた夢を叶えられたのはラッキーでした。遠回りをしても、目標さえ見失わなければいつかチャンスがくる、という貴重な体験ができたのですから。
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